DREAMS Award 2011 第1回作文コンテスト 第1回受賞作文 最優秀賞 上壁 由美(かみかべ ゆみ)さん (東京都  45歳)

「生きようよ」

 私は現在、演劇、音楽、脚本や小説の執筆等の活動をしています。
 私が作品で伝えたい事、それは、
 「明日も生きようよ」
 その一言です。
 発症したのは25歳の時でした。
 当時は、子役のころからお世話になった劇団を退団し、音楽活動に専念しようと歌手としての活動を始めた矢先でした。
 異変は唐突に起こりました。
 水や湯の温度を感じなくなり、数日で身体のあちこちがうまく動かなくなり、やがて右半身が完全にマヒしました。
 動かすどころか触った感触さえ無く、痛みも感じません。歩くことはおろか立つことも座ることも自力ではままならず、トイレにさえ人の手を借りなければならなくなり、日常生活は完全に一人ではできなくなっていました。口が半分動かないため食事も普通にはできなくなり、喋ることさえ思うようになりません。動かない右半身の肉はそげ落ち、体重は40kgを割り込むほどでした。当時は今ほどこの病気が知られていなかったこともあり、外科、内科、脳外科と病院中をたらい回しになりながら検査に明け暮れました。そうして病名が特定されるまで1ヵ月以上かかった為、やっとこれが多発性硬化症の発症であったと分かった時には、それまでの人生のすべてが一変していたのです。
 その頃にはすでに重症の期間を通り越し、少しずつではありましたがマヒも治まり自力での活動が可能になっていました。どうにか日常生活だけは何とかこなせるようになった頃、自分の身に何が起こったのかを知りました。同時に、それまで十数年間を費やして鍛えてきた肉体を完全に失っていることに気がつきました。
 声が、出ないのです。
 このままでは音楽活動はもちろん、ステージになど立てる筈もありません。ショックで無かったと言えば、嘘になります。
 大きく売れこそしませんでしたが、10年以上も舞台に立ち続けてきた私です。声量には自信がありました。ところが、発声のために必要な筋肉が一度完全にそげ落ちてしまったため、もう一度ゼロから発声の訓練をしなければならなくなってしまったのです。
 筋力が低下したため体力も無くなり、トレーニングは容易ではありませんでした。それでも、
 「もう一度舞台に戻りたい」
 その思いだけが、リハビリに耐える原動力でした。
 絶対に諦めたくない、その一念でした。
 およそ3年を費やし、人前で歌うだけの『声』は辛うじて戻りましたが、完全には復調しませんでした。長期の稽古に耐える体力が無くなったため8年間演劇からは退きましたが、その後約15年間寛解の状態が続いたため、私は再び演劇や音楽の活動に戻ることができたのです。
 この間にCDの発表、小説の上梓、脚本の執筆等、家族や友人の協力を得ながら、やりたいことには積極的に挑戦してきました。知人の環境調査会社で事務を務めるかたわら、環境問題やユニバーサルデザインに関する勉強もさせてもらいました。
 15年目、新しい舞台の準備中に、左足の感覚障害が起こりました。
 再発です。
 舞台の企画段階から参加し、脚本、音楽、出演を任されたミュージカルでした。
 当初は、裏方に徹して出演は見合わせようかとも思いました。もし本番の出演が不可能になったら、舞台に携わる全ての人に、ひいては観に来て下さるお客様に多大な迷惑をかける結果になるからです。
 結局、自分で書く脚本でしたので、万が一出演が不能になっても作品に影響を及ぼさない配役で出演するという形を取りましたが、このとき書いたものは、まさに私の作品の指針そのものでした。
 テーマは、『生きる』こと。
 「最高のお葬式」を夢見る、人生の終わりだけを考える老いた主人公が「もう少し生きるのも悪くない」と思うまでの物語でした。
 ストーリー自体は、演出家や主演女優との話し合いで作っていったものでしたが、もし、執筆中に再発しなければ、この作品は別のものになっていたかも知れません。
 昨年の9月、再び、今度は運動機能障害を再発しました。
 左半身、胸下から足にかけてのマヒです。
 MRIに映った脳の映像は大きな病変部でまっ白で、今度こそ回復は不可能かも知れないとも言われました。
 死に物狂いでリハビリに励みました。
 母に介助して貰いながら、車の通らなくなる時間帯を利用して、通常10分ほどで歩ける距離を1時間以上かけて往復し続け、マッサージと足踏みを繰り返しました。おかげで1ヵ月半ほどでやっと普通に歩く程度まで回復しましたが、若いころと違って落ちた体力はなかなか戻りません。体重は8kg近く減少し、ようやく取り戻した声は再び出なくなりました。
 もう一度、発声練習からのやり直しです。
 最初に発症した年齢から20年を越え、今や私も45歳を過ぎました。
 リハビリには無論時間がかかりますが、私は決して諦めたくはありません。必ず再び舞台に、元気な日々に帰るのです。
 諦めることは、終わること。自分にも、私の作品を観て、聴いて下さるすべての方にも、私は言い続けます。
 明日も、生きようよ。